■太鼓曲輪尾根にはいる

どのブログをみても、初めて歩く人は尾根への入り口が判りづらいようで、筆者も周りをウロウロ、20分ほど要した。

道路から右奥に笹藪が見える広場に入ってゆくと笹藪右端の方に標識は無いが、踏み跡があり中央自動車道からの騒音が聞こえる。

笹薮の中を少し上ると中央自動車道を渡る中宿橋に出て、渡った右奥に尾根道入口があった。

■太鼓曲輪尾根

 数日前の降雪で積雪の尾根道、降雪後に同じ方向に歩いたハイカー(一人のみ)の雪道への踏み跡、そしてヒノキの樹林帯の中は積雪は無く時折見かける樹木への赤いリボンを確認しながら歩くが、幅が狭い尾根道であり道を間違えることは無い。

 八王子城跡近くまでくると、十メートル程の岩崖で道が無くなっている。道は?道は?と八王子側の尾根急斜面を回りこんで鞍部に下りる。

 どうもこれが尾根をV字形に削り曲輪を造った敵の攻撃への要塞構築への最初の『堀切』だ!これがあと七か所程あるのか。

 積雪の尾根急斜面をスベリ台のように6m程滑ったり何度も滑りながら、八王子城跡大手門近くの尾根道鞍部まで着くと右手下方に見学用通路橋の施設が見えた。

 ここで当初の計画通り、一旦尾根道から外れ八王子城跡御主殿跡を見学すべく踏み跡・道不明の急斜面を下りた。

■八王子城居館施設・御主殿跡(大手門跡~古道~曳橋~虎口~御主殿)

 北条家小田原城の支j城である八王子城は城主・北条氏照が1582年頃から築城を始めた山城で、1590年に豊臣秀吉軍(前田利家+上杉景勝軍)の攻撃で落城し、その時小田原城にいた兄の北条家三代氏政と氏照は切腹させられている。

 その北条氏照の居館がこの御主殿跡で、調査で建物の礎石や石垣・石畳・水路など発掘され整備されている。

 先月と今回の歩きで戦国時代の山城として、八王子城の規模概要を興味深く知ることが出来た。

■八王子城跡から林道散策

 計画では御主殿跡を見学してから太鼓曲輪尾根に戻り、太鼓曲輪そして残りの尾根道を歩く予定であったが、独りでの積雪の尾根道・堀切アップダウンは次の機会にまわすことで、太鼓曲輪尾根と平行に走る雪道の林道を歩いてみることにした。

 持参している手元の地図(吉備人出版「高尾山・景信山・陣馬山登山詳細図」では林道終点より北高尾山稜へは”現在通行止”となっているが、雪道に同じ方向へ一人の踏み跡があり逆方向への踏み跡が無く、そのまま北高尾山稜まで登れるかもと思いながら進んだ。

 林道が終わり山道に入ると距離も標高も北高尾山稜までもう少しだが、積雪が深く沢の渡渉もあり、また独りでの歩きを回避して八王子城址管理事務所まで引き返した。 

■八王子城山(城山山頂・本丸跡、松木曲輪、八王子神社、金子曲輪、観音堂)

 このまま帰るには物足りなく、先月歩いて下りた道とは別のルートで城山山頂・本丸跡に上った。上りに歩いた旧道(東尾根コース)は稜線の北側で殆ど誰も歩いてなく雪道。下りは先月と同じルートで稜線の南側、殆ど雪が残っていない道で歩きやすかった。

■北条氏照と家臣墓所

 帰りに案内標識に気づき立ち寄ってみた。後年に分骨された墓のようだが、真新しい花が供えられていて誰か面倒をみているようだ。