◆<JAL「どこかにマイル」でチケット入手>
息子から5月末で切れるマイルをプレゼントされ、行き先不特定のまま出発・帰着の空港および日時を指定し、通常の半分以下の6000マイルで往復の特典航空券に交換を申し込んだ。3日後に送られてきたチケットは「羽田⇔大分」であった。40年ほど前、大分空港がある国東半島を挟んで大分・別府と中津に仕事で住んでいたことがあるが国東半島は旅したことが無く、神と仏が融合した神仏習合の「六郷満山文化」と自然に触れる絶好の機会となった。
◆<国東半島峯道ロングトレイル>
お寺や石仏など見ながら少し歩いて回れるトレッキングコースは無いかと検索してみると、熊野古道や比叡山の千日奉行のごとく行者達が修行に歩いていたという「六郷満山峯入り行」のコースをベースに、トレッキングやウォーキング楽しめるように設定し整備されている「国東半島峯道ロングトレイル(10コース/約135㎞)」にヒットし、今回はこの中から少し歩いてみようと、資料を調べた。
コース案内資料では、各コースのルート・距離・起点終点への車での所要時間はあれど、コースタイムや起点終点への公共交通機関の案内は無い。
コースタイムはコースの性格上、各所見物にどれだけ時間をとるかにより難しい点はあろうが、よくよく交通事情を調べると、利用できる路線バスや市町村のコミュニテイーバスは殆ど無く、これらを利用しての山行計画は難しいことが判った。
しかし、国東半島を横断する空港リムジンのバスルートと峯道トレイルのルートが交差する豊後高田コースT-1/T-2があることが判り、このコースを折り込んだ自分なりの歩行ルートと宇佐八幡宮を歩いてみることにした。
◆1日目<空港から国東半島を周回し宇佐八幡宮へ>
空港から空港リムジンで宇佐まで約1時間だが、路線バスで国東(待ち時間44分)、竹田津港(待ち時間36分)と乗り継ぎ、雨の中の海岸線と山側の景色を楽しみながら3時間30分で宇佐駅に。
途中、東国東の沖合には姫島が望まれ、この時期南方から渡りをする蝶『アサギマダラ』の大群が「スナビキソウ」の蜜を求めて休息することを思い出し、ここに立ち寄り見学するプランもあったなぁと思った。
宇佐駅では一大観光地の宇佐八幡宮へのバスは1時間以上も無く、歩けば1時間の距離なのでタクシーを利用。タクシーの運転手曰く”朝夕はもう少し便があるが” と。
◆<宇佐八幡宮参拝>
718年に神仏習合の六郷満山を開き1300年、全国に4万社余りある八幡社の総本宮だそうで、広大な境内のなかを2時間、多くの神殿や宝物館を見て回った。
◆2日目<富貴茶園から富貴寺へ>
「国東半島峯道ロングトレイル豊後高田コース(T-2)」コース案内に周囲コース「田染蕗・富貴茶園周遊コース」が掲載されており、ブログで富貴茶園の情報を調べ、”是非ともここは歩かなきゃ”と計画に組み込んだ。
期待通り、素晴らしい高原茶園への歩きと眺めを満喫。
◆<富貴寺大堂>
国宝・富貴寺大堂(阿弥陀堂)は平安後期、境内にあった榧<カヤ>の大木一本で大堂を建立し、そして阿弥陀如来座像を彫ったと解説されていた。
大堂内にはその国宝・阿弥陀如来座像や重文・壁画が残されている。
堂内は撮影禁止で、パンフレットのコピーを添付しておくが、壁画は色褪せでで良くは鑑賞できなかった。
◆<富貴寺から平原・金政の里、七田漢音へのみち>
蕗川のほとりから平原地区へ丘陵の森の中の山道への分岐に気づかず、踏み跡を辿って進んでゆくと道は無くなり、引き返し注意深くみると曲道での道案内表示が木葉に隠れていた。
出発前にコース案内地図を拡大して地図に無い道を地図ソフトで作成し、手元携帯GPSに落とし込んでナビにして歩いているが、平原・金政の里を過ぎた丘陵越えの山道で踏み跡が無くなり、足元も見えない背丈1mほどのササヤブの中に。25分ほどのヤブ漕ぎで一旦は踏み跡がある道にでるが、目指す方向への道は見つからず、歩き易い踏み跡を探しながらあっちウロウロこっちウロウロ。道迷い約2時間、目的方向とは正反対の県道に出ることが出来た。
道迷いの常習犯、この日もGPSさまさまで、自分の現在地と目指す方向を確認しながらパニックになることなく脱出できた。
この日の残りの行程は変更し、計画していたゴールの田染中村に向かって田植えが進められている田染荘の田園の中の道を歩いた。
どこでどう道を外れたのか、自分の歩いたGPSログとブログから歩いた人のGPSログを比較(上図)してみると、一旦ヤブコギで脱出した地点でコースのルートに戻っているが、事前にコースパンフレットからインプットしていたルートと違っているため、目的地と反対方向に向かっていたようだ。
◆<田染中村・本宮摩崖仏>
◆3日目<山あいの棚田から熊野摩崖仏へ>
豊後高田の街からほかに乗客がいない貸し切り状態の市民乗合タクシー(20km/30分/200円)で終点「田染中野」へ。
そこから他に誰も歩く人もいない道を、狭い山あいの棚田で田植え準備中の老夫婦の話を聞いたりしながら2.2km/標高差131m/40分、熊野摩崖仏拝観受付へ。
その受付で木の杖を貸してもらい、階段そして最後は急な自然石乱積みの「鬼の築いた石段」の標高差約100m/約20分で上ると、国指定重要文化財のそそり立つ岩峰の岩壁を彫った巨大な石仏群『不動明王像』と『大日如来像』に出会えた。平安中期から鎌倉初期には存在していたようだ。
いい顔していた。
◆<真木大堂、古代公園>
六郷満山65ヶ寺の本山本寺として36坊の霊場を有した幻の寺院「伝乗寺」が700年ほど前に焼失し、難を免れた各寺坊の本尊九体をこの真木大堂(保管庫)に集めており、国宝そして重要文化財に指定されているとのこと。ここの仏像も写真撮影ができないので、パンフレットのコピーを拝観の記録としておくが、
仏像群は見ごたえがあり、独りじっくりと鑑賞できた。
この真木大堂に隣接した古代公園には国東半島のあちこちに点在していた「国東塔」「五輪塔」など石造文化財を集積し鑑賞出来るようにしていた。
ここから穴井戸観音や朝日観音・夕日観音がある間戸岩屋への丘陵越えの道は遊歩道として整備が進められていた
◆<穴井戸観音・朝日観音・夕日観音、そして田染荘>
岩峰の洞窟内にある穴井戸観音、そしてクサリ場の岩峰を上ると観音様の前には中世荘園村落遺跡として800年前の姿を今にとどめていて、国の重要文化的景観また世界農業遺産にも認定されているという『田染荘<タシブノショウ>』の景観が広がっていた。
国東半島六郷の集落の一つである田染郷では平安時代末期から雨引神社や宇佐神宮によって水田が開墾され、宇佐神宮の神官の子孫が支配する荘園の一つ『田染荘』となっているようだ。両子山からの谷筋にあるため、細かく区画された棚田になっている素晴らしい景観になっているエリアもみられた。
今回2日間で歩いた集落名を改めて調べてみると、
田染蕗<フキ>、田染池辺、田染中村、田染小崎、田染真中、田染真木、田染平野
と 田染の名前がついていて荘園の一帯であったことが判った。
水田はちょうど田植えの真っ最中で、田染小崎の集落から田植え作業と水田に周辺の山並みを映す光景を堪能しながら、空港へのバス停がある田染中村へと旅を終えた。